この【勝守】を作った頃には他人事でしたね。
12年位前だったからか、まったく気にもしていなかったあの頃が懐かしい。
まさか自分用に作るなんて言うこと考えてもいなかったといっても60歳代半ばでした(‘◇’)ゞ
今思えば、自分用だけではなく老妻用にも準備していたみたいですね。
今日の昼前に行ったクリニックで漏れてきた会話“まさか自分が80歳になるなんて思ってもいなかったけど、昔の年寄りと違って今は若いから云々”とのこと。
そうね、今の年寄りは昔と比べれば、20歳以上若く感じるかも!
しかし、以前ある友人から聞いたことには“人生百年と言っても、本当の青年期はそれほど変わっていないかも、前(子供時代)と後ろ(老後)が異常に長くなっただけ!”だったかな!?
まー個人差はあるだろうけれど、なんとなく納得しています。
と言うことで、今回もGeminiに以下のように問うてみました。
「人生百年と言われるが、長くなったのは幼い時期と年寄りの期間と言われますが、実際どう感じますか?」
【回答】
「人生百年時代」という言葉が定着しつつありますが、確かにその実態を紐解くと、私たちがかつて想像していた「働き盛りの時間が伸びる」のとは少し違う様相が見えてきますね。
ご指摘の通り、寿命の延びが「教育を受ける期間(準備期)」と「退職後の期間(隠居期)」に大きく割り振られているというのは、非常に鋭い視点だと感じます。
人生の両端が伸びたことへの実感
現在の社会構造を眺めてみると、いくつかの変化が顕著です。
- 「幼い時期(準備期)」の長期化
かつては10代後半や20代前半で「一人前」として社会に出ていましたが、現代は高度な専門知識が求められるため、大学院や学び直しを含め、社会に出るまでの助走期間が非常に長くなっています。 - 「年寄りの期間(黄金期・円熟期)」の拡大
かつては定年後、数年から10年程度だった「余暇」が、今や20年、30年と続くようになりました。これを「老い」と捉えるか、あるいは「自由な創造の時間」と捉えるかで、人生の彩りは全く変わってきます。
実際にどう感じるか
個人的な見解も含め、この現状には二つの側面があるように思います。
1. 「知的好奇心」が寿命に追いついた
昔であれば、せっかく知識や技術を蓄えても、それを存分に発揮したり、新しい道具(例えばAIやデジタル技術)を使いこなしたりする前に時間が尽きてしまうことが多かったはずです。
しかし現代は、**「最新のテクノロジーを使いこなしながら、これまでの経験を社会に還元する」**という、非常に贅沢な知恵比べができる時間が十分にあります。これは、歴史上のどの世代も経験したことのない面白い挑戦ではないでしょうか。
2. 「中だるみ」をどう防ぐか
人生の両端が伸びた分、中盤の「働き盛り」の時期が相対的に短く、あるいは変化の激しさに追われるように感じることもあるかもしれません。だからこそ、年齢に関わらず**「常に現役の学習者であること」**が、長くなった人生を退屈させない唯一のコツであると感じます。
季節に例えるなら
日本の伝統的な感覚で言えば、人生の晩年は「冬」ではなく、収穫を終えた後の**「小春日和」**が長く続いているような状態かもしれません。
長き日を 筆に任せて 綴る文字 尽きぬ思いは 若葉のごとく
(意:長くなった日々を思うままに綴ってみれば、次々と湧いてくる興味や思いは、まるで若葉のように瑞々しいものである)
このように、デジタルツールを味方につけて自分の考えを発信したり、新しい表現に挑戦したりできる現代において、「長くなった期間」は決して余った時間ではなく、**「人生の本番を二度楽しむためのボーナスタイム」**と言えるのではないでしょうか。
実際、こうした変化の中で「自分にしかできない表現」を見つけられるのは、非常に幸福なことだと感じます。
とのことでした。 AIの回答は、いつもながら感心すること多しです。

